易の処世法 巽卦~未済卦 |
さて解説の形式は以下のようになってます。
巽は風であり、どこにでも入り込むという性質を持っ ています。自由奔放で柔軟性を持っている一方で、ふらふらとして定まらない不安定なものも表します。この卦に当たる 人は迷うことが多いのですが、優れた指導者に従うのがよいでしょう。
「風のように生きる」というと自由闊達に生き、俗世 間に囚われないというという意味がありますが、その一方で自分がない、当てにならないと言う意味もあります。フリー で生きる人々は、ある意味自由ですが身分は不安定なものです。困ったときはよい先輩に頼るのが良いでしょう。
兌は悦び、少女、口を表します。基本的には良い卦な のですが、口は災いの元ということもあります。貞しきに利ありとありますので、真ある悦びだけが吉となります。この 悦びを貫いていくのならば、天命にかない下の者は労苦を忘れて付き従います。
四爻は商兌であり、計算した上で相手を悦ばすもので す。贈り物やお世辞の類でありますが、これに長けていたのは豊臣秀吉であります。
渙は散る、解ける、離れることで、苦難解消や停滞し てしたものが動き出すという卦です。良い卦なのですが、逆に、散るという象から一家離散や民心の離反をも表します。 このことを考慮していけば大きな危機も乗り越えることができるでしょう。
四爻は一見悪いことに見えますが、再構築(リストラ クチャリング)のことです。ただ、日本的なリストラの意味ではなく(解雇や、ダウンサイジングではない)、合併統合 など企業や政治なの各種団体の効率化、協力関係を示しています。
節は節度、調節、バランスをとるを表します。節度を 守ることによって中道を行い、苦難に対処していくのが正しいと説きます。原則に固執しすぎれば行き詰まります。バラ ンスをよくとることによって、四季のように美しい姿が現れます。
易では足らざるくらいを良しとして、多すぎるのは凶 と見ます。この節度とは少し足らないくらい、腹八分目くらいを丁度良いと考えます。物事には限界があり、あまり欲 張っても良いことはありません。
中孚は心に誠実さが満ちていること、互いに相手を理 解し感応することから生まれる「信」です。誠意で人を率いれば、下の者はどんな鈍感な者でも感動し従います。誠実で あれば大河を渡る危険を冒しても大丈夫です。
六爻は時を告げる鶏が、思い上がって天に昇ろうとす るすがたで、「思い上がった信」は信でないと易は説きます。一部の宗教のように思い上がった「信」は他人に迷惑であ ると同時に自分にも害毒を与えます。二爻のように信を交わすという状況ではなく、人が離れて行ってしまいます。この 六爻に当たった人は自分が何かを過信してないか反省する必要があるでしょう。
小過は沢風大過に対応するもので積極的に大問題に取 り組もうとせずに、消極的と言われるほど控えめに事に当たれば大吉となります。大事より小事、上るよりも下るほうが 大切であると説きます。
万事控えめというのがこの卦の意味ですが、人間、何 事もやりすぎる形があります。感情に任せて怒りすぎたり、節税しようとして脱税になってしまったり、車の運転でス ピードを出しすぎたり。そう言うことを戒めているのがこの卦です。
既済は事が全て成就することを表し、完成をも表しま す。この状態を固く維持して変わることがなければ順調です。しかし、完成は崩壊の序曲であり、混乱へと落ちていきま す。
易は英名を「変化の書」と言います。物事は循環し、 終わりはまた始まりでもあります。既済が最後ではないのはこのためです。極みはすなわち転じ、下降線へと続いていき ます。この状態では、物事が極まっているので願い事は少しだけとおります。大いにはとおりません。
未済は未完成を表します。子狐が川を渡るのに今一歩
でその尾を濡らしてしまうという運勢で、万事順調にはいかないとしています。一致協力して難関を切り抜ければ願い事
は通じます。
この未済を持って、易はまた乾から始まります。未済 はその名の通り終わりではなく、始まりです。終わりなどないというのが易の思想にあります。この世は刻々と移り変 わっており、未済はその段階の一部でしかありません。既済ですらそうです。万物流転の思想がこの卦が最後にあること から窺えます。 随時内容を追加修正します |
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