易の処世法 沢雷随~地雷復 |
さて解説の形式は以下のようになってます。
随は従うという意味ですが、別に強いものに従えとい
う意味ではなく、正しいと思うものに譲って従うというものです。従わせるという意味もあるが強制ではありません。剛
が柔に従うものです。力あるものがその力を秘めつつ従うものを言います。また、夕暮れが迫れば君子は家に戻って休む
ようにしますが、そのようにあるもの、つまり法則に随い無理をするものではないと説きます。この卦は、易という法則
に随えとの言にも読むことができます。
清濁併せ呑むという言葉があります。そういう人間関
係を作れる人は少なく、大抵の人間はクラスに別れ同じクラス内でつき合うようになります。なかなか幅広い支持を得る
ことは難しいです。
蠱とは文字のごとく皿の上に多くの虫が蠢くような腐 敗状況を指しています。内部的腐敗と混乱の状況だが、「物、極まれば必ず反す」の言葉通り、再生も意味します。改 革、革命についての卦です。各爻は親が進めてしまった腐敗・破壊を子供が立て直す様子を描いています。
爻についてはどちらかというと占いの結果です。六爻 は映画「椿三十郎」のようにトラブルを解決したあと何の栄誉を求めず去っていく姿です。
臨むのは見下ろすことですが、この卦では上下相親し むの状態を指します。発展する意味がある一方で熱しやすく冷めやすいという注意点もあります。
物事に臨む時の心構えです。あまり解説はいらない
でしょう。
物事をいかに見るかを説いています。積極的に見て回
るというよりは、四季の運行を見つめるように深く静かに本質を見て取るという意味合いが強いです。ですので4爻の
「観光」は現代の意味とは違います。元はこの卦ですが。
堂々と自らを省みながら世を見よということです。自
らを省みずに他者の悪い点ばかり見るのが一爻の子供の見方(童観)ですが、TV見てるとついついそんな見方をしてし
まって自らの小人の程度が分かってしまいますね。他人のアラは良く見えるということです。
噬嗑は「ぜいこう」と読み、噛み合わせることですが、間に物があって上手く行かない
状態です。こういった障害物は真正面から排除していくべきです。罰を用いても良いでしょう。
無条件に良いことがあるのではなくて、努力して困難 を排除して初めて良いことがあるという卦です。また、四爻、五爻にあるように良い物は苦労しないと得られないという ことでもあります。
飾りの意味ですが、外面的なファッションから、精神 的な「礼」までを指します。飾りは物事を美しくするものですが、内面が伴わず見た目だけの虚礼などになる可能性もあ ります。
剥ぐこと、削ること。目に見えない危険が目の前まで
来ている姿です。警戒し対処しなければなりません。この卦では爻の位置を寝台の場所に例えています。
剥は「老衰の卦」とも言われますが、年齢には関係あ
りません。衰弱していくさまを表しています。
剥の破壊の後、物事はまた息を吹き返し始めます。明
けない夜が無いように、ようやく朝がやってきます。しかし、これから希望が見えるようになるというだけですぐに良い
ことが起きるという訳ではありません。どんな大木でも芽が出たばかりの時は弱く、寒気や虫にやられてしまいます。
復るとは言え、また前のように好き勝手出来るというわけではなく、わがままを突き通せば凶です。自分はまだ弱々しい芽であることを自覚すべきです。「正
しい道」という「新しいルール」に沿えば良いが、以前のやり方では「また破れて元通り」ということになります。やり
直すには心を入れ替える必要があるのです。
随時内容を追加修正します |
(c)Copyright HAZAWA KEIICHI 2006 All rights reserved