易の処世法 小畜卦~予卦 |
さて解説の形式は以下のようになってます。
小畜とは、小金が貯まる、ではなく、小さき者(妻や
部下)が大きな者(夫や上司)を止めることを言います。力が弱いため正面切って立ちはだかるのは無理で、止めようと
言う動きは密雲のように湧き上がってはいても、雨が降るまではいきません。諫める時はくれぐれも慎重に。
注意する点ですが、問題は上下が対立することではあ りません。自分たちを取り巻く状況が危うくなっており、それをどう乗り越えるかで上下で意見の相違が発生してるとい うことです。ですから自分の意見を通すことは二の次です。勝ち負けではありません。多少の軌道修正で十分で、自分の 意見が行きすぎているということもありえるわけです。意固地になって意見を通せと言う爻はありません。
履とは踏むこと、実行することです。何事もリス
クはあり、無風であっさり成就するということはあんまりありません。虎の尾を踏む(この成句はこの卦に出てきま
す)ような状況の中で、どういう心構えで実行すべきかをこの卦は説きます。
この卦を読めば読むほど「孤立を覚悟する」とい う言葉が頭に浮かびます。人が付いてこないならまだしも、足下を掬おうとする輩もいるかもしれません。ですが、 前例を参考にしつつ「礼」を重んじて慎重に進んでいけば最後には苦労しただけの結果がもたらされるようです。
天(上位者)と地(下位者)が一致協力して順調 に物事を進めることについての卦が泰です。もちろん上下は比喩であり、上司部下だけでなく、夫妻・親子・師弟さ らには友人同士(やはり力関係とかある場合がありますからね)も含まれます。卦の形通り、天地が逆になってるこ とこそが深い意味を持ちます。なぜなら天が天の位置に、地が地の位置にあれば両者は交わることなく離れ続けるだ けです。ひっくり返せば、両者は混じり合い理解し合うことができます。このように天と地の和合を説く卦が地天泰 です。
これは和合にポイントがあるのではなく、上位者がいかに部下たちに接するか、を説いたものみたいですね。和合な
ら水地比がありますし。看守と囚人の心理学実験がありますが、命令する立場に長いこと居ると今の立場が割り当てられ
た役なのに(上司から、天から)、生来のものと勘違いしてしまう愚を説いたものかもしれません。
前卦の地天泰とは逆の卦。天は上に向かい、地は
下に向かい、全てが離れ、行き違い、背く状態。君子の行う道が小人によって邪魔され上手くいかなくなっている。
こんな状況を説く卦が否である。ただ慎重に耐えるのみ以外ない。特に君子はこうなったら才能を隠して難を避ける
こと。誘惑があるが焦って乗ってはいけない。
易経の一貫する思想は、苦しい目に遭おうともそれは一時的なものであり、また喜びがやってというものです。八方
塞がりでもうダメだと思うような状況でも耐えていればいつしか光明が見えて来ると説いています。
同人は苦労を喜びを共にする同士であって、寄せ
集めなどではありません。それぞれ豊かな知性と実行力を持ち、孤立を恐れることなく志を貫ける者たちが交友、共
同事業のことを指します。寄せ集めではないということは一緒くたに集まろうということではなく、他の集団と違っ
た、何か明確に中心になる思想を共有することです。ですので、集まるという意味と同時に、他集団から一線を画す
意味もこの卦にあります。
同人が只の仲良しグループでないことは確かですね。それだったら比になります。どうも爻を見ると自分の集団が他の集団と闘争し、いかに勝利するかを描いて いるようです。周易の作者の頭のなかにあったのは政治的な闘争だったのでしょうか? ところで、三爻は自分たちを PRするため奇抜な行動をとってはみたが一瞬話題になっただけでメジャーになりきれない様子が浮かびます。これは良 くある話です。
太陽のごとく暖かな光を周囲に与え従えてる盛運の状 態のことです。積極的に行動するべきときです。
取り立てて書くほどのことはありません。 何かの仕事を任せられたときの話でしょうか?
大有のごとく盛運の状態でもそれを他に分かち、謙る
という美徳に付いての卦です。すぐれた才・美・力は謙虚であることでいっそう輝きます。高い山は削られ、その土砂は
低きに流れ込みます。君子は沢山あるところから削って足りずに困ってる方へ足して平らにすべしと象伝でも説いてま
す。出る杭は打たれるから、頭を低くしていろという考え方です。
成金が馬鹿にされるのはこの逆をするからですね。人
間、傲慢な態度を取ると嫌われます。他人を見下しているわけですから。これは金や権力だけでなく、若いと言うだけで
オヤジ狩りとかするのも傲慢に含まれます。まあ、傲慢なのは若さの一症状ですが。「実るほど頭をたるる稲穂かな」で
す。
予め計画して手を打って置いて実行するという事の他
に喜び・楽しみという意味もあります。何事も物事は突然起きるわけではなくて、目に見え無いながらも少しずつ蓄積さ
れたものがある日突然現れたように見えるだけです。(易は「完全な偶然」は考えてないようです)
卦としては「準備」の意味があるのですが、爻としては「楽しみ」へウェイトが大きく偏ってます。なぜ、両方の意味があるのかわかりませんが、「楽しみ」
が持つ危うさを警告することに重きを置いているようです。
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